わたしは市川に約50年住み,小児科医を約40年、市川で開業していました。
今は突発性難聴になり聴力が落ちて廃業しています。
私が聖書に興味を持つ必要になったのは20代の頃、図書館でヒルティやシュヴァイツァーさんの読書に触れてから,キリスト教会に通うようになりました。夏休みは教会の修養会や文化勲章をもらわれた深津文雄先生のドイツ系の教会でボランティアに参加したり,そのような若い時は何か善を求めていたんだろうと思います。しかしなぜキリストかという疑問をずっと持ち続けていました。
40代になって、ハレルヤ、うちの長女がミッション系の学校に、お母さんの聖書を学ぶ会に、娘が誘ってくれました。その時,私は教会に行くことをやめていたので,
非常にそこでお会いしたお母さんに惹かれて、彼女の教会に行くようになりました。
その教会では聖書をとてもよく導いてくださいました。その聖書を開かれるたびに何か
御言葉の輝き,それから 宝物を掘り出すようなワクワクしたような気持ちがあったことを忘れられません。
そして私たちの内側に罪があることを聖書の中で知りました。
全ての物に法則があり罪にも法則があり。
“なぜなら私は善をしようと欲するのですが,善を行い出すことはないからです。
自分の欲する善を行わず,かえって欲しない悪を実行しています。善を行おうとしている私に悪が共にあるという法則を見出します。”ローマ書七章です
“神の救いとは自分を改良することではなく,神が人として来られたイエスキリストという方が私たちの罪のために,十字架に行き、血を流され、そして信じた人の中の霊を生かし、共に内住し、新しい神聖な命を命の霊の法則を伴って、私たちに結合してくださる”ということをその時,初めて知りました。
命も法則であるということを認識し、今は命の法則から法則に従うような生活をしています。朝起きると主イエス御名を呼びます。
“おお 主イエスよ”、大きく息を吸って、
そして御言葉を読み、キリストが"私を食べ飲みしなさい"と言われたように、
御言葉を食べ飲みしています。
そして新陳代謝が繰り返され、私の古いものが取り去られるように。
そして神である御言葉を絶えず絶えず食べ、そして祈る。
このような生活に導かれたことを本当に感謝しています。
私はもう80代になりました。
20年前に胃がんになり、五年前に突発性難聴になりました。
もはや外なるものは朽ちていきますが内なるものはさらにますます新しいことを信じます。
“肉につけた思いは死ですが、霊につけた思いは命と平安です”(ローマ8:6)
この信仰を皆様に持ってもらいたいと思います
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